活動報告
印刷工業会 設立60周年記念未来の印刷産業アピール論文

【優秀賞】印刷は印刷らしく

馬場 裕一郎 (1973年10月15日生)
株式会社電通テック SPDセンター SPCR2部

 かつて、ハンバーガーを大幅に値引きし、一時は65円バーガーが話題を独占するも「ハンバーガーは安物」のマイナスイメージを残し、赤字転落を余儀なくされた日本マクドナルド。
 しかし、営業利益で6年連続、既存店売上高で8年連続プラスの好業績を維持する企業に好転。24年12月期も増益予想。この景気低迷下で増益街道をひた走っている。
 一方、長らく不況に陥っている印刷業界。現在、市場は6兆円強と算定されているが、ここ10数年は減少を続けている。これまで印刷業界は、景気の影響を受けにくい業種だと考えられていたが、最近ではその存続が危ぶまれるまでの衰退傾向にある。
 その原因のひとつは「デジタル化」である。これまでアナログ的な工程で発生してきた作業はデジタル化により短縮され、この部分の売り上げは激減、また、情報コミュニケーションにおけるインターネットの普及は、広告メディアの中でのその位置づけが新聞を抜き、テレビに次ぐメディアに成長。4大マスの中で印刷物を扱う、新聞、雑誌は年々減少傾向にあり、発行部数も減少している。
 もうひとつの原因は「価格競争」である。アナログ的な工程が減少し、コンピュータ制御によりどの印刷会社でも一定のクオリティを保った印刷物の生産が可能になった。これにより各印刷会社のオリジナリティがなくなり業界は価格競争に向かわざるを得ない状況となっている。
 価格競争は、余分な工程や人員の削減など、無駄なものを徹底して排除する手法で行われる。しかし、今後、無駄な工程のほとんど無い中、さらに価格を下げるには、「必要な部分の何か」を削除するしかなく、このままでは業界全体の安全性や印刷物そのものの価値までが問われることになりかねない、まさに消耗戦と化している。
 印刷業界のみならず、日本企業全体に言えることかもしれないが、やはりコストダウンだけに頼らない売れる方法を工夫し続けなくてはならない責任がある。その責任を放棄して、安易に値下げ競争に向かっていくのはあまりに危険な行為だといえる。
 印刷業界に15年以上携わってきた私は、印刷物の持つ魅力や、可能性をまだまだ信じたいし、その価値を下げる様な価格競争体質からは脱却すべきだと考える。
 外食産業というまったく異なる業種だが、マクドナルドにヒントはないか。
印刷だからできることとは何か、印刷「らしさ」とは何か、今後印刷とはどうあるべきかを探りたい。  マクドナルドの話に戻るが、約10年前、「ハンバーガー65円」と書かれた店舗には、激安価格を求める客が列をつくった。だが、値引き効果の限界を感じ始めた14年2月には、値引きの終了を宣言。遂に価格の値上げに踏み切る。
 当然のことながら、この施策により客足は鈍り、さらに値上げもできない袋小路に入り、この年に創業以来初の赤字に転落する。
 商品価値を変えずに価格を下げれば、消費者はそれが妥当な価格と思ってしまう。値下げで一時のシェア争いはできても、隣の店から客を奪うにすぎないということである。
 現在の印刷業界が、まさにこの状態だ。価格競争によって下げられてしまった価格は元には戻らない。印刷の価値そのものが下がってしまったからだ。
安くしたところで、印刷物の物量が増えるわけではなく、まさに決まったパイを奪い合っている状態と言える。
 たちが悪いのは、一企業の問題ではなく、業界全体がこの状態に陥ってしまっているということだ。  その後マクドナルドは、乱立した小型不採算店400店超の大量閉鎖に踏み切る。この間、主力のバーガー類は「クォーターパウンダー」や「ビッグアメリカ」シリーズといった付加価値メニューを投入し、マクドナルド「らしさ」を増益につなげ、みごとに復活を果たした。
 「らしさ」で復活した企業はマクドナルドだけではない。米アップルも同様だ。パソコンの基本ソフト、ウィンドウズ95を7年に発表し、勢いに乗る米マイクロソフトに対抗した拡大戦略に失敗。苦境に立たされた米アップルは10年にパソコン「iMac」、13年には音楽プレーヤー「iPod」のヒットで、業績を回復させる。アップルも「らしさ」で復活を遂げたのである。
 印刷業界は、この状況から脱却するための努力の方向を間違ってはいけない。少しでも無駄な部分を省いたり、効率的なスキームで価格を下げたり、利幅を上げたりといった取り組みは必要なことだが、必要な手間や収益を削ってまで、価格競争に踏み切るべきではない。
 印刷がもつオリジナルの「らしさ」があってこそ、はじめて価値を獲得し、価値に見合った対価が得られるのである。
 同じ外食産業では、牛丼チェーンが、過去のマクドナルドのように、主力の牛丼価格の引き下げ競争で体力を消耗しているが、基本的には印刷業界も構図は同じである。
 では、印刷業界がずっと必要とされ続けるための「らしさ」とは何か。近年比較されることの多い、「書籍」と「電子書籍」について検証してみたい。
 一般的なイメージもあるが、「書籍を出版した人」と「電子書籍を出版した人」の違いは何か。  電子書籍は、サイトからダウンロードしたり、メールで送られてきたデータを解凍したり、その手順が「作品」というより「ファイル」を扱っているような感覚にされてしまう傾向がある。
 つまり、電子書籍は「作品を世に出す」というより「手軽な趣味をWEBで公開する」という認識でブランド化されてしまう危険性が捨てきれないといえる。また、電子書籍は、ダウンロードの仕方や操作の仕方など、丁寧に教えないと分からない人が結構いるのに対し、「紙媒体」はどうだろう。本の読み方、ページの開き方を習った人はいないはずである。こういうところに「らしさ」はないか。
 紙媒体の書籍の価値は、みんながほぼ平均的に理解しており、それが、作品を作品たらしめている理由になっている。電子書籍は、まだコンテンツを「作品」と思わせる環境が整っていないといえる。電子書籍は、作り手側が、手軽に本を出せるという利便性があり、言い換えれば、「誰でも作れるコンテンツ」である。紙媒体でも、自費出版・協同出版が増えており、素人でも、本を出すことは可能だが、電子書籍と違い、「最初から売れないモノ」は、限られた書店のスペースに置かれることは無いのである。
 書籍の例をとってみても「紙」には、紙だから持つ、「ブランド力」があり、この「ブランド」という切り口でもまだまだ「らしさ」があり、有効な媒体ではないだろうか。
 あらゆる生活の場で消費の場で場所を選ばずに「活かせる」「効く」メディアであるということも「らしさ」の一つである。WEBと比較しても、携帯に便利、電源も必要ない、並べて一度に複数見ることができるし、何より目の疲れが少ないメディアである。

 印刷技術の向上で、印刷物自体の生産スピードは格段に向上されている。しかし所詮、情報伝達のスピードやお手軽さではWEBにかなわないのである。
即時に必要な情報などはWEBサイトがかなり優位であるが、五感を刺激する触感、香りなど、印刷には印刷特有の優位性がある。
 他にはない工夫やハッとして思わず手に取りたくなるような商品など、印刷物の魅力は直感的なそのインパクトにこそある。手に取ればそのまま気軽に見る事ができ、手にしているモノから入る情報は強い印象を残す。
 ならば印刷は、時間をかけ、「らしさ」を掘り下げ、とことんこだわり、贅沢なメディアになっていくべきである。紙媒体は視覚的な訴求だけではなく、紙の手触りや風合いまで含めて作品となる。  写真集、画集などは高級紙を使い、どれだけの色を忠実に再現できるか、あるいは紙でどれだけの表現ができるかという事を追求するべきだし、それらを含めた総合表現の可能性が印刷にはある。  こういった利点を最大限利用しながら、3Dなどに代表される視覚的に新しいもの、五感に訴えるもの、印刷物特有の重力、これらの要素を生活シーンやビジネスシーン、売り場で生かすアイデアを、とことん深く追求していくことにこそ活路がある。
 近年では、カメラや各種センサ(GPS、電子コンパスなど)を備えたスマートフォンの普及や、通信速度の向上により、「AR」というサービスも現実的なものになっている。これは、AR用デバイスを用いて印刷物に情報を付加することで、現実環境を拡張する技術である。
 これまでの様々な写真(広告・ポスターなど)をそのまま動画に拡張する事ができ、単体の印刷物のみならず、これらの要素を加えたクロスメディアという視点からも、印刷の可能性は広がりを見せる。  オリジナリティがなければ、独自の価値を常に創造し続けなければ、価格競争に向かうのは当たり前であり、いつまでも受け身の姿勢でいては、淘汰されるのを待つばかりである。

 ・・・もし、紙媒体の出現がWEBの後だと想像してみる。
 視覚情報で済むところを「あえて」印刷する、「わざわざ」加工し、時間をかけて初めて手にすることになる。
 それは、かかった時間の価値があり、こだわりのある贅沢なメディアとして、きっと世に出現し、受け入れられていくはずである。

 だから、印刷は印刷「らしく」。

【参考資料】

 

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